熊本県山都町で「日常茶飯事」をつなぐ営み
新しい原材料の調達方法、リジェネラティブバイイングの一環として、豊かな里山のシンボルと言われる渡り鳥、サシバを追った原材料の購買プロジェクトが始まり、この渡り鳥を追ってたどり着いた熊本県のある町で、Lush Times 日本版のエディターは疲弊する里山文化に危機感を抱きながらも、町おこしに奮闘しているある農家の方から、人と自然が共存していくヒントを得ました。
「熊本県山都町 地方創生アドバイザー」
「NPO山都のやまんまの会理事長」
「山都町女性の会 会長」
「山都町棚田復興プロジェクト代表」
「山都町図書館協議会 会長」
これは熊本県と宮崎県との県境、九州のちょうど真ん中に位置する「九州のへそ」、熊本県の山都町で30年以上有機農業を営んでいる下田美鈴さんの名刺に書かれている肩書きの一部です。
水路橋が架かり、米づくりができるようになった白糸台地
今から150年以上前、3つの川に囲まれた白糸台地と呼ばれるこの高台は雨水に頼るしかない地域で、飲料水を確保することも、農作物を育てることも難しく、貧しい生活を強いられていました。暮らしが大変厳しかった村人たちは、子どもを町に奉公やらなければいけないほどでした。
1854年、その様子に心を痛めた当時の町長、布田保之助は村人たちの要望を受け、白糸台地の周りを流れる川の一つ、五老ヶ滝川に石組みの水路橋「通潤橋 (つうじゅんきょう)」を架け、白糸台地に水を流しました。これが現在では国の重要文化財に指定されている「通潤用水と白糸台地の棚田景観」の始まりです。白糸台地の地形を活かし、棚田で米づくりができるようになったこの地域の暮らしは、少しずつ豊かになっていったと言います。
2018年10月に通潤橋を訪れた時、遠足に来ていた小学生がボランティアガイドの前で「一番印象的だったのは白糸台地に住む村の人にとって水がどれだけ大切かということ」と大きな声で発表していたのが印象的でした
棚田を守る米づくりとお茶づくり
通潤橋のある人口15,000人ほどの山都町で、棚田を使って無農薬で米や野菜、お茶を育てながら「下田茶園」を経営しているのが下田美鈴さん。下田さんの車のナンバープレートは「田を良くする」の語呂合わせ。ここにも彼女のこの場所に対する想いが込められています。
山都町は1970年代から有機農業大会が開催されていた歴史もあり、熊本県だけでなく九州の中でも特に有機農業を営む農家が多い場所として知られています。勾配のある場所では大規模農業を営むことが難しいため、棚田の広がる白糸台地では小規模な農業でも頑張れる有機農業が広まりました。また、2011年の東日本大震災後、この町に移住してきた人が40人ほどいましたが、理由を聞いてみると「この場所では安心安全な農作物を手に入れることができる」「有機農業をやりたい」という声が多かったと言います。「この地域では約3割の農家が無農薬の有機農業。この数字はちょっと信じがたい」と下田さんも驚きを見せます。
ところが、最近この地域でも農家の後継者不足が懸念され始めました。
「現在の日本の農業人口はたった2%なんですよ。食糧自給率60%を目指していますが去年は11ポイント下がって38%。胃袋の62%は海外のものということです。山が多い日本では、中山間地域が国土の7割、全国の耕地面積の4割ほどを占めています。これまで国産の食料の多くは白糸台地のような標高数百メートルの中山間地域が担ってきました。でも、人口減少、高齢化、後継者不足、イノシシやシカなどの獣害があり、国内の中山間地にある里山はあと何年もつかという状態です」。
全国の多くの場所同様に、この地域でも近年棚田、里山がどんどん疲弊しているという下田さん。
「中山間地域にはお米を作るだけじゃなくて、緑を守る役割もあります。森に木を植え、山の管理まで中山間地域が担ってきた。木を育てることで、水が地中に蓄えられ、それが棚田を潤し、棚田が地下水を保全します。同時に山林の落葉の営みは生物をいっぱい育んで、最終的に土まで作ってるんです。いつも思うんだけど、どんなに人間の科学が発達しても土は作れない。食料は輸入すればいいやって思っても、有機農業に大切な水、土地や風土にあった土を輸入することは難しい。土は時間が作るものだと思っています。土が命の源なのに、それが昨今忘れられている気がして」。
下田さんの家は息子が家業である農業とお茶屋の経営を継ぐことが決まっているそうですが、この地域に120軒ほどある農家のうち、後継者がいるのは3軒だけ。
「70歳、80歳の人たちが今でも農業をやっていますが、その人たちがやめてしまった時にコミュニティがしっかりしていないと、ここの棚田って守れないんですよ。棚田で農業をするということは上の田んぼに水が来ないと下の田んぼに水が来ないように、一緒に用水路を修繕したり掃除をしたり、みんなで農道を管理しないと農業ができないんですよ。そういうおじちゃん、おばちゃんが元気じゃないと、うちの息子もお米が作れないですよね。だからみんなで棚田を守っていかないといけないんです」。
幸いこの地域では下田さんたちの努力もあり、しっかりしたコミュニティができていると言います。近年ではそれに加え、農業の経験がない県外の人たちがボランティアに来てくれるようにもなりました。それは2016年4月に起きた熊本地震が一つのきっかけでした。
「地震で棚田が一部崩れてしまいまいした。どうしようかと思っていたら、用水路の管理や農作業の手伝いをしに県外から人が来てくれるようになったんです。ある30代の人は年に何度もここに来てくれます。こんな若い人がいるんだ!日本もまだまだ捨てたもんじゃない!って、ボランティア受け入れを始めてから気づいたことですね」。
「また、農業をやっていて思うことがあります。畑に畝(うね)を作って、種をまくと、畝じゃないところに芽が出ることがあります。そこに育った人参だけ、異様に大きくなったりするんです。王道から外れたような生き方をした人の方がかえって器が大きくなったりするのかな、なんて思ったりね。作物もそうですが取り巻く自然から学ぶことって本当に多いですよ。人の為って書いて偽りっていうじゃない。『人の為、人の為』って言っている人は嘘っぽくて(笑)。それに対して本物ってなんだろうって考えた時に、自然こそ本物なんだなって思うんです」。
「日常茶飯」を死語にしない
「ここのお茶は土が良いからなのかな」と話す下田さん自慢の茶畑は、栽培を始めてからあと3年で100年を迎えます。今では国内で生産される99%以上のお茶は、葉っぱを蒸気で蒸して作る蒸し茶であるのに対して、下田さんのお茶は鉄の釜を使い、400度の高温でパチパチと炒って作る希少な釜炒り茶です。
「手間のかかる釜炒りは手の感に頼らなきゃいけないので、機械化できなくて、大量生産できません。いつの間にか幻のお茶になってしまいました。お茶はその昔大陸から風邪薬として伝わったくらいポリフェノールやビタミンCが豊富な飲みもので、胃薬の代わり、糖尿病の予防にもなると言われていますし、殺菌力もある。風邪の予防にもお肌にもいいと思いますよ!」
「日常茶飯事」という言葉があるくらい、人間の知恵として古くから親しまれ、広く普及したお茶は、私たちにとって日常的に飲むものでした。そしてお茶と並んで日本の食卓に日常的に登場するのがお米。実は今、日本ではかつて一人平均100キロ食べていたお米の消費量が半分の50キロまで減っています。
「人間の歯は、上下で28本あるんです。前歯は野菜などを噛むため、犬歯は糸切り歯とも言われて鋭く、肉や魚を噛むためです。そして、一番多い奥の歯はお米などの穀物をすりつぶすためにあるわけです。この歯の並びを見ても、人間は穀物を食べるっていうことを教えてくれてるんじゃないかな。歯の並びからしても、お米はもっとも歴史のある農作物。日本で2,000年以上で続いてきた文化です。昔から日常的にお米を食べ、お茶を飲むと病気をしないって言われてきました。でも『日常茶飯』が『日常パンコーヒー』になってしまう危機感はあります。給食でもご飯と牛乳が出る。食文化が崩されちゃうんじゃないかと心配になる時があります。日常茶飯事という言葉を死語にしてはいけないと思うんです」。
文化としての農業を未来に引き継ぐための文化活動
下田さんの言葉を借りれば、「農業こそ文化」。そんな下田さんは農業以外の文化活動にも積極的に関わってきました。長く携わっている図書館活動もその一つです。図書館のない町に、22歳の時から地域の施設に図書館を作るなどのボランティア活動をし、図書館長を7年間勤めたこともあります。一見関係がなさそうな図書館活動と有機農業の深い関わりについて、下田さんはこう話してくれました。
「人はやっぱり言葉で考えてる。『美しい』という言葉が分かった時に、美しい心が生まれると思うんですよね。ここで当たり前に暮らしているけど『わぁ、美しい風景だな』って思える心がないと、そして美味しいものを美味しいと思える心がないと、人として豊かになれない。図書館も一緒で、人は本や良書、文学に触れると、豊かになれると思うんです。読書って、作家さんと対話すること、そして自分と対話すること。自分がしていないことでも想像力を膨らまして疑似体験ができること。田舎にいても世界が広がる。読書って自分の小ささを知ることかもしれません」。
良い食べ物は体を健康に。良い本や音楽、芸術との出会いは心を健康に。豊かな場所で豊かな生態系を守っていくために、美しいものを美しいと思える人、文化に触れながら豊かな心を持つ人が必要だと下田さんは考えています。
「日常茶飯」の他に、もう一つ下田さんは大好きな言葉があると言います。それが「飲水思源」。
「当然のように蛇口からすぐに水が出てくるけど、それを当たり前と思ってしまったら感謝の心が育たないじゃないですか。ここまでどうやって水が運ばれてきたかのかな、誰がどうやってこういう棚田が作られたのかなって、先祖に対する感謝の気持ちとか、周りの人たちのおかげで水が飲めるんだっていうことを常に忘れちゃいけない。その感謝の心が一番人を幸せにする心だと思うんです」。
2日間の滞在の最後に、下田さんの淹れてくれた釜炒り茶を飲みながら、「ここの棚田、日本の里山を支える協力者がもっと増えていったら」とエネルギーいっぱいに棚田で自然と向き合う下田さんに、里山を守らなきゃいけない理由を改めて聞いてみました。
「日本には昔から八百万の神がいて、稲作が育んで来たのが里山。ここからお墓が見えるんですが、ここは先祖と繋がる場所でもあります。里山は人が自然と共存する場所です。山にコブシの花が咲いたら里芋を植える。ツバメが来ると苗床の準備をする。サクラが咲くと稲作をはじめる。オオルリシジミが来てくれると、夏を迎える準備。自然を観察して里山での生活を営んで来ました。里山はお米を作るだけじゃなくて、人をホッとさせる場所なんだと思います。だからこれからもこういう場所を守っていきたいんです」。
下田さんの話を聞いていると、文化活動を30年以上も続けているからか、選ぶ言葉が洗練されていて、過去と未来をつなげてくれる考え方にどんどん引き込まれました。歴史や祖先に敬意を払い、伝統を大切にしながら未来を見据えた変化をいとわない姿勢に、これからの日本の里山文化に未来があるのではないか、とも感じました。
釜炒り茶で一息ついてから、帰りに車の後ろの窓から見えた下田さん。ずっと手を振ってくれていたのに、最後に小さな会釈をしたその姿は商人であり、地域の立役者としての責任が感じられて、下田さんの覚悟に胸が熱くなりました。
熊本県山都町産のお茶はバスボムギフト『四季の一服』に、お米はフレッシュフェイスマスク『ドント ルック アット ミー』に、米ぬかはクレイ洗顔『ハーバリズム』に、お茶はバスボムセット『四季の一服』に、それぞれ使用しています。収穫状況・時期によって、他の場所で原材料を使用する場合があります。
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