原材料の旅路を行く

人も生物もやわらかくなる三浦半島の谷戸田再生

生まれ育った神奈川県・三浦半島の自然環境の変化を目の当たりにし、そこに生息する生き物の暮らしをよくするために里山の再生に取り組む天白牧夫さんという方がいる。そんな天白さんから自然と共に生きるヒントをもらいに、都市部で持続可能的な社会のあり方を企業や行政とともに考え、暮らしをデザインするオオヤマタカコが三浦半島に向かった。

東京から、横浜を通って三浦半島まで縦断する京急線の終点、神奈川県の新逗子駅から20分ほど海岸線を車で走る。御用邸のある葉山のオシャレなカフェやお店を走り抜け、そのままずっと進んでいくと山に入り、それまでの景色とはうってかわって、すっかり田舎の自然の景色だ。都心から1時間で、こんな自然あふれる場所が現れるから不思議だ。

この日は三浦半島で里山再生に力を入れる天白牧夫さんに会いにきた。ラッシュが始めた、新たな原材料調達の考え方「リジェネラティブバイイング」の一環で、渡り鳥を指標にした「サシバプロジェクト」を一緒に進めていくパートナー団体として天白さんが代表を務めるNPO法人三浦半島生物多様性保全が決定したからだ。

雨が続いた後のカラッと晴れた12月の寒空に、もう秋が終わって本格的に冬が始まることを痛感した。取材の場として使わせていただいたSHOKU-YABO農園は、三浦半島生物多様性保全の活動フィールドの一つである堰ノ谷戸(せきのやと)がある山を切り開いた青空食堂で、寒いと震えながらテーブルに座る。ラッシュからは編集チームとバイイングチームの4人が参加していたのだが、みんな防寒対策はバッチリ。いつも外で、商品に使う原材料を探し、走り回るバイイングチームの2人は慣れた様子でもこもことしており、「去年、イヌワシプロジェクトが始まってから外での現場になれた」と話す編集チームは厚手のジャケットに身を包む。何も考えていなかった私は少し震えながら車を出た。

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事前に天白さんのことを知りたくてパソコンを開いてみたが、ネットの情報は乏しく出てこなかった。私は自然保護やパーマカルチャー、食の安全など、様々な活動をしている人が周りに多いのだが、知人をたどって様々な活動を行う人たちに天白さんのことを尋ねてみると「里山再生ではすごく有名な人」と一言。さて、どんな人だろう?と思いを巡らす。

「こんにちは」

 緩い笑みをみせながらSHOKU-YABO農園に現れた天白さん。手に何か持っている。「あれは、もしやタカでは!?」と思ったら発泡スチロールとダンボールで作ったサシバと、ハイタカというサシバと並んで里山に存在するタカの種類の原寸大模型だった。

「作ったんですよ」と言いながら、登場直後から「ハイタカはお腹が灰色なんです」と、2羽のいろんな特徴を説明してくれた。模型の羽は本物を使っていて、数ヶ月前にオオタカに攻撃され、それぞれに命を落としたサシバとハイタカの羽をそのまま使っているとのこと。挨拶した時の穏やかな感じから一転、説明がはじまった途端、しっかりとした口調に変わる。説明中に、本物のタカが現れ、頭上を舞う。豆粒くらいにしか見えないタカをみて、天白さんが一言、「あれはハイタカですね」。普通なら望遠鏡をのぞいて、特徴を確認してからでないと種類の識別は難しいところだが、なんと天白さんは肉眼で言い当てる。日々の観察しているからわかるのであろう。すごい、の一言。

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「天白さんのことを知ろうとしたら全く情報が出てこなかったんですよ」と話すと、「それはよかった」とニヤリ。地元・横須賀出身の天白さんが三浦半島で生物多様性保全の活動を始めた理由を聞くと、「何かしなければという意識より、もっとベーシックな部分にあった」と教えてくれた。

もともと自然が大好きな少年だった天白さんは、生まれ育ったこの土地で、幼少期よりこの土地に生息する生き物たちと触れ合いながら育った。中学生の時に自然保護の先駆者のような人に出会い、「自然保護って自分でもできることなんだ」ということに気づき、自分が幼少期に遊んだ環境がどんどん破壊されていくことを目の当たりにして、その思いが徐々に「これを食い止めなければいけない」という使命感に変わっていったという。

地域の自然や環境保全の知識やその人となりに衝撃を受け、弟子入りを決意した天白さんはその人に弟子入りを決意。以後、師匠のあとを付いて一緒に各地を回りながら、三浦半島の自然や、そこで起こっている環境の課題について学んでいった。同時に環境保全に対して同じ考えを持っている先生が在籍する大学に入学。そこで、普段日の目に当たらないような絶滅に追いやられている生き物の研究に没頭し、生物多様性のある環境作りの大切さを学んだ。さらに、もっと自然に対してアクションを起こして行きたいという気持ちから、博士課程を修了した2012年にNPO法人三浦半島生物多様性保全を立ち上げた。

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大学在学中に見えてきたのは、ニホンイシガメなどなかなかその存在に気づかれないまま生息数が減少していく生き物たちの原因として要になっているのが、里山や谷戸田の減少だと天白さんは話す。

「田んぼがなくなれば、水がなくなるからサンショウウオが卵を産めなくなる。山が崩され、道路が整備されたから、亀が自由に行き来できなくなる。みんな原因は共通しているんです」。

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三浦半島は丘から丘、谷から谷へと勾配が続く標高200m前後の丘陵地で、この間に無数の小さな谷が存在する。この谷の部分を三浦では谷戸と呼び、昔はそこに様々な生き物が共存する豊かな里山があったという。しかし、東京のベッドタウンとして三浦半島にも住宅地が広がった結果、里山の数は激減し、多くの生き物が三浦半島から消滅してしまった。天白さんは幼少期からこの土地で自然に触れ合いながら過ごしていくなかで、急速な環境の変化を肌で感じていたのだろう。

NPO法人三浦半島生物多様性保全では、主に以下の活動が行われている。

  • 谷戸田の復田を中心に、管理の手が離れた里山での伝統的管理を行う里山再生・環境調査
  • 地域の環境保全活動の担い手として、次世代の育成を行う環境教育・エコツアー
  • 三浦半島の生態系を守るための外来生物防除

生物多様性を守るためには侵略的外来生物の駆除もしなければならない。生物多様性とは、土地ごとに自然の歴史によって成立した生態系が、その場所にそのままある状態のことを言う。三浦半島で言えば、アメリカザリガニやアライグマなど、別の場所に生息していた生きた動物を人間が持ち込んだ結果、それらの種が増え、元々いた生き物の数が減少し、三浦半島の生物多様性が崩れつつあるそう。他に例をいうと、例えばヤモリが住んでいる砂漠に人間が植林を始めたところ、緑が増えて蝶が舞うようになったが、元来そこに住んでいたヤモリは絶滅すれば、生物多様性は壊れたということになる。天白さんは、決して動物を殺すことが正しい行為ではないと前置きした上で、人為があり連れ込まれた外来生物の存在は人間が犯した罪であり、駆除という罪の上塗りをしてでも生物多様性を崩した外来生物の存在を無くし、元の状態に戻すことが人間の責任だという。

「人為というのがまた難しいのだけど…」と少し間を置いてから天白さんがポツリ。

「昔人間が自然の一部だったころの人為は、生物多様性のバランスを保っていたので良かった。里山の営みはそれができていたのだそう。弥生時代、3,000年、4,000年間、継続的に毎年行われた米作りをしながら、森の木を切るという里山文化の中での暮らしは、ある意味自然に受け入れられている状態だったので、生物多様性が保たれている状態だった」。

現代社会においては、人間が元ある自然環境を急速に壊した結果、反動でそこに住む自然や生き物の多様性が崩れ、元ある状態に戻ることが困難になってしまっているのだそう。三浦半島をあるべき生物多様性の高い状態に戻すことは時間がかかる。私たちの世代でするべきことは、墜落しかかっている今の生物多様性を乗せた飛行機を不時着くらいにさせること。そのあとは次の世代にバトンを渡し、時間をかけてゆっくりと自然を元の状態に返していくことが大事だと天白さん。

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筆者は今、都市部での環境循環を行うことで、社会問題を解決するといった環境デザインを企業や行政に提言する活動をしている。場所は違えどするべきことは同じなのだなと感じながら天白さんの話を聞いていた。人間は自分たちが自然の一部であるということを理解し、自然に寄り添い暮らすことで、安定した豊かな生活が送れる、ということを前提にして生きていれば自ずと今自分がどういう行動をすることが地球全体を見たときに適切なのかがわかるのである。私はその状態を都市部に作ることをし、天白さんはその状態を還元する活動を三浦半島でしている。

生物多様性の話をしながらふと、一番基本的なことに疑問が湧いてきたので、天白さんに質問してみた。

「なぜ里山再生が生物多様性を守る上で大切なのですか?」

人が何百年、何千年と育んできた自然環境を総称して里山という。そして三浦半島には何千年と育んできた里山の代名詞が谷戸田がある。「天白さん、田んぼに関して、米を作ることよりも、水を張ることが大事だとおっしゃってましたよね。」とバイヤーが横から話す。「そうなんです」と言いながら、天白さんが話を続けた。

「田んぼを人間がやらずとも、昔は自然の中で田んぼの機能があった。人間が治水を行う以前は、洪水などの水害が絶えず、土地がもみくちゃにされて湿地が生まれる。その湿地でトンボなどの昆虫が卵を産み、カメの子どもが育つ、豊かな環境が存在していたんですよ」。

洪水のたびに生まれる出来立てホヤホヤの湿地は、三浦では谷戸と呼ばれた。そこに若い植物や、カエルなどのか弱い動物が生息し始める。そしてその湿地を利用して人間が米を植え始めた。だから生物多様性の保全活動として大事なことは米つくりではなくて、谷戸田を再生することで生物の住処を作ってあげることなのだと天白さんは言う。

さらに付け加えると谷戸で真面目にお米を生産してもせいぜい年間20万円くらいで全くお金にならない。そのかわり体験の場として広げていくことで興味のある人や次を担う人材を増やしていく、お金の価値ではなく知識や環境問題に対する価値を生み出して生きたいと話す。そしてラッシュでは今、社員やお客様が一緒にリジェネラティブバイイングを五感で体験する場として、天白さんの管理する谷戸田の再生のお手伝いができないだろうかという計画が進んでいる。

谷戸田は、人も生き物も豊かになれる場所であり、生き物にとっては住処としてとても大事な場所でもある。そこで私たち人間はいろんな体験ができる。稲作、山菜採りなど、旬のものがどんどん採れるから人の生活が豊かになる。そしてそういう生活のアクションは自然に対してとても柔らかいものになるので、自然から帰ってくるリアクションもとても柔らかくなる。

第一印象はとてもシャイ、話を始めるとすっと雰囲気が代わり研究者として一言一言ゆっくりと、しっかりと話をしてくれた天白さん。活動の原動力は、三浦の自然やそこに生きる生物が好きだから、ただそれだけ。インタビューの場所として使わせていただいたSHOKU-YABO農園の方は、笑いながら「この人、子ども向けの教室では、人が変わったかのように元気なんですよ」と笑いながら話す。天白さんの心はまだまだ自然少年のまま、当時の風景や生き物を追いかけているのだろう。

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筆者:オオヤマタカコ

自然環境や循環を都市部に取り入れた豊かな暮らしつくりをテーマに行政や企業に向けてのコンセプトデザイン、食、ライティング、イベント企画を通して社会変容を提案する。米ボストンサフォーク大に入学後、中南米でのゲリ ラ農村留学やウガンダの人道支援&平和構築に従事、卒業。ニューヨークにて新聞社に勤め、2014年に帰国。100BANCH入居プロジェ クトとしてフードロスを考える各種企画やワークショップ、商品開発を企業や団体とともに実施。 また渋谷の朝のコミュニティを創出するCreativeShibuyaMorningsを主催するほか、最近では拡張家族を創造するCiftのメンバーとして新しい家族のあり方を実験中。

2018年12月

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