原材料の旅路を行く

福島で農地再生のために、菜の花を育てる杉内清繁さんが歩む道

東日本大震災から10年が経つ2021年の春、これまで福島の地で自らの道を切り拓いてきた、ラッシュの原材料を生産する方々は今、どんな道を歩んでいるのでしょうか。

 

fukushima rapeseed minamisoma

福島県南相馬市在住

一般社団法人 南相馬農地再生協議会 杉内清繁

震災から10年。今、どんなことを考えていますか。

新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、社会的な生活の中に大きな影響をもたらしています。その中で東日本大震災から10年経って「落ち着いた」という見方もありますが、まだまだ不安の続く毎日です。大きな問題として、この地域に若者が減ってしまったことをひしひしと感じています。

地方での生活と比べ、満足度の高い目的を満たしてくれる都会の生活に目が向いてしまうことも大きな要因になることでしょう。そんな中で、農業に勤しむ立場として気になることは、38%という低い日本の食料自給率です。昔から、「食べる」という生活の基本において、健康を害さない食べ物を送り届けることを大切に思い続けていました。

作る側も食べる側も、お互いに周りの社会の状況を理解しないと、お互いに話し合いができなってしまいます。でも、その背景にある時代の速さについていくのは大変で、一方通行な話になってしまうことも、現実です。

 

 

10年前を振り返って、何が変わりましたか。

福島第一原発から30km圏内にある南相馬は、震災と原発事故によって地域社会や自然環境はもちろん、農業の現場も耐え難い苦難の連続に打ちのめされてしまいました。目に見えない放射線が人間の身体を切るように、人間関係もバラバラにされてしまった思いです。この地域も、一時は人が暮らせない場所になり、広大な自然環境からの恵みも消えてしまいました。そして、この場所に住めるのか、住めないならどうすればいいのか、何の当てもない中で呆然と立ち尽くす状況が思い浮かびます。

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そんな中にも、前向きな支援をいただく機会に恵まれ、菜種を育て、油を絞り始めることになり、幼い時分に口ずさんだ菜の花畑の情景も浮かび、心和む時間を受けた思いもありました。

これから求められる私たちの身近な社会環境や自然環境との向き合い方として、大量生産、大量消費から少しでも視点を変えた食べ物の供給を考え、地域復興につながる、コミュニケーションの場に向け60代、70代から次世代につながる持続可能な地域社会となるように、考えていきたいと思います。

最近では、新型コロナウイルスの感染拡大で、これまでの働き方やライフスタイルの在り方にも変化の兆しをよく耳にします。都会の生活から地方の生活への切り替えも含め、気候条件にも恵まれた南相馬のような場所の選択肢も生まれたとすれば、安心できる生活環境を通したコミュニティ活動ができないかと前向きに考えます。

若い人たちがこれから社会の中でどのような役割を担い、自分の人生をどう歩んでいくのか。また、家庭内での健康管理や子どもたちへの環境学習、自分たちの食べ物がどのように調達されるのか、その内容を知る上で、身近に食育学習や環境学習にもつながり、食糧生産現場にも視線が届くとすれば、グリーンツーリズム活動にもつながり、行動半径が許す範囲で、都会と地方の交流できる環境を作り、それぞれの生活の中から、人間関係を通した顔の見える食料の持続可能な交流に望みを持ちたいと思います。スピードの早いこういう時代にこそ、ちょっと立ち止まって、見つめる余裕も欲しいと思います。

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持続可能な地域社会と土壌の再生。土が元気になるということは、杉内さんにとってどういう意味があるのでしょうか。

豊かな自然環境に育まれる生物多様性の環境は、私たちの身近な生活にも密接な関りを持つ、多面的なつながりの中で、生き物の生態と向き合う自然条件のもと、時には自然の厳しさも目の当たりにして農業生産活動に取り組んできました。今回の様な千年に一度の自然災害から引き起きた未体験の放射能汚染の状況からは、成す術のない状況で引きこもる生活以外に方法はありませんでしたが、放射能測定にいち早く駆けつけてくれたチームの支援により今の菜の花プロジェクトの取り組みが続いております。

今、安全な食べ物を生産するため油脂植物栽培で農地を再生する方法として菜種栽培を試み、純粋な菜種の原料生産から、搾油製造そしてピュアな菜種油の完成品を送り出しています。現在日本で消費される菜種油の原料は、99.9%が海外からの輸入に依存し、中でも87%が遺伝子組み換えの種子で製油となり、さらに製造過程で手を加えた商品として流通しています。私たちは原料の菜種栽培から加工、商品化販売まで一貫した手作りで純粋な油を届けております。

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南相馬市にある搾油所にて (2021年1月)

土は地球誕生以来、長い変遷をくぐりながら、現在に残ってきているものです。

土の中には微生物の世界があり、様々な特質の土壌環境もあり、地球誕生以来の未知の部分も秘められた、まさに賜物です。私たちは 本来食べ物は土から与えられ、生かされていることを聞かされてきました。今まさに地球温暖化による気候変動から大きな自然災害の影響が地球全体から取り上げられています。これまで経済活動の優先から広大な原生林の開発や、地下鉱物利用による大気汚染は生物多様性を思いやる行為に背いて歩んできました。

私たちは小さな取り組みからも自然循環の成り立ちを大切に、地産地消持続可能な社会環境、自然環境の保全を見守りながら、これからの復興社会の取り組みとして歩み続けて行きたいと考え取り組んでます。次世代につながる思いを込めた取り組みが、少しでも先につながれば、元気の源もまた蘇ってくると期待をかけ進めております。

LUSH TIMESを手に取る全国の皆さんに伝えたいことはありますか?

昭和の前半までは、日本国内でも自分たちが使う分だけ菜種を栽培し、油を絞っていましたが、その後専門的な流通が確立しました。震災後は皆さんからの支援も受けながら、放射能測定をしながら、農地再生のために油脂植物の栽培、油の商品化を始めました。これからは支援という形は切り離し、国産の油であることの魅力を発信しながら、この菜種油を使う方々の声や意見を聞きながら、菜の花プロジェクトを進めていきたいと思います。2015年に商品化したラッシュの『つながるオモイ』という石鹸は、その商品名含め、いつまでも大事にしたい皆さんの気持ちが詰まった、そして生かされていくような商品でした。また未曾有の災害から生まれたこの 『つながるオモイ』は再生への大きな励みでもありました。

新型コロナウイルスの発生では、地球規模で感染が急速に拡がり、人間の行動の甘さや、社会のスピード化の盲点を強く考えさせられました。まさに経済第一主義に偏重した生活の仕組みから及んだ社会問題になっています。命に関わる危機感と遭遇し、多くの教訓に気づかされたからこそ、身近なところからつながる思いやりを大切にしたいと思います。

2021年1月

fukushima minamisoma rapeseed
編集後記

南相馬に足を運び、初めて杉内さんにお会いしてから5年が経とうとしています。2019年に南相馬でお会いしてから、ゆっくり話をするのは約2年ぶりでした。「ブレる時もあるんだけど」と笑っていましたが、杉内さんが大事にしていること、向き合っていることは初めて会った時からずっと変わっていませんでした。「自分の人生、お金でつられるとかじゃなくて、そういうことを求めることが精神的にも癒されるんだと思ったりするんです」。

この記事をまとめながら、杉内さんが大好きだというこの詩が頭に浮かびました。

 

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため この遠い道程のため

「道程」 高村光太郎
fukushima rapeseed minamisoma
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